【プロフィール】

 

演技教師 :皆川 眞澄 

 

出身地  : 静岡県 

 ―-------------

 

・幼い頃より人前で演ずる事が何より好きであった。12歳の時、そのタレント性に目をつけたペプシコーラのカメラマンにより日本代表ポスターモデルとして起用される。

 

・その後、学研教育映画、TVリポーター等の地元タレントとして活躍中にスカウトされ、東芝EMIよりシングルレコードリリース。 

 

・1983年:幼い頃からの夢であったミュージカル俳優への衝動を押さえ切れずに

東京キッドブラザーズに入団。卒業公演でマドンナ役を射止める。 

 

・2年後フリーとなり、コマ劇場、青山円形劇場、パルコ劇場等、メジャーミュージカル等の舞台に出演。また、TVドラマの出演やモデル業を掛け持ち。

 

その間も「演技とは?人間とは?」と自己に問い続ける。 

 

・1988年:パルコ劇場オーディションにより、奈良橋陽子脚本・演出のミュージカルに出演(別所哲也/故今井雅之/故塩屋俊など)【メソッド・アクティング】と出会う。

 

サンフォード・マイズナーの方法論を軸に、〈俳優の感情の動きを大切にした〉奈良橋陽子氏の指導法に感銘を受ける。 

 

・1989年:師ゼン・ヒラノと直感的に出会う。

 

アルパチーノやデニーロ等、ハリウッドスター達の全身全霊の演技力は何処から来るのだろう?『ニューヨーク・ザ・アクターズ スタジオ』はスタ二スラフスキーシステムをさらに発展させ、メソッドを確立した。

 

そこで創始者のリーストラスバーグにピタリと添い、演技指導の真髄を直伝された師ゼン・ ヒラノは、スタジオ始まって以来教師になりたくて入門したという人物だった。東京で開校していた『ゼン・ ヒラノアクティングゼミナール』に衝動的に飛び込む。そのプロデュース公演では「蜜の味(シーラ・デイレーニ著)」「コーラスガール」等メインキャストとして活躍。8年間に渉り、メソッド演技の習得に没頭した。 

 

・1991年:2枚目のシングルCDをリリース。 

歌手業の傍ら日本の伝統芸能に興味を抱く。何百年も前から変わらず演じ続けられている能。一挙手一踏足、面の角度まで決められている。 

制約があればある程、演者のリアリティーは強くなければ観客には伝わらない。

 

舞台俳優としても活動していた能楽師・故観世秀夫の門をたたくと共に、

それとは対極にある舞踏家・大野一雄のクラスにも足しげく通う。 

「心の動きに体をゆだねる」能が〈外から内へ〉ならば舞踏は〈内から外へ〉である。 

 

・1992年:「演技とは?演劇とは?自分は何のために演じているのか?

観客に喜びや感動を与え、共に分かち合うためだけなのか?」 

内在する疑問へのアプローチ。 

 

・1993年:歌手業に専念。全国各地を飛び回る。師ゼン・ヒラノから学んだ事をベースに、能と舞踏の現場から与えられた止揚(アウフへーベン)。 

ソロで舞台に立つことのプレゼンテーション。自分の立ち位置を体感する。 

出会いの中、それぞれの人生に感動しつつ、自分の人生を一本のまっすぐな道と見立てて唯歩く。 

 

・1996年:コンテンポラリーダンスアート『DANK』参加 

ニューヨーク在住のダンサー/フォリオグラファー(振付家)の工藤聡のダンスビデオに参加。ルイジアナの精神病棟の様に衝撃を受けた工藤の体験をベースにした作品で、『人と人とのコミュニケーションにおけるエネルギーの変遷』がテーマであった。この時の経験は、ダンスの枠を越えて、今も表現活動への礎となっている。

 

・古典芸能への興味は尽きず、尺八の森淳との出会いから、デュオで福祉施設やイベント等の演奏活動に取り組む。 

 

・1997年:海外ジャズミュージシャン(P:ロン・ハドリー/AS:ジム・キャメロン)

と北海道ツアー、東京公演。

 

・中国電力キャラクター〈のん太くん〉の声やカネボウCD-ROMのナレーション等の幅広い活動に伴い、声の表現者としても活躍の場を広げている。

 

1998年~:結婚。マレーシアに移住。 

子育てのかたわらピアノ教師、ボイストレーナーとして活動しながら、表現者としての新しい可能性を模索し続ける。

 

2004年:短編映画 『I was Here』主演女優 

オーディションにより、マレーシアの監督Kit Ong氏に抜擢される。 

氏の初監督作品『 I was Here 』に当時4歳の娘と共に出演。

 

自分自身の人生の過程で、〈絶対的孤独感から開放された〉

衝撃的至高体験の直後のオフアーであった。

 

〈極度の孤独感から自ら聴覚と視覚を奪い最後には絶命する〉という内容を演じ切った。夢と現実の狭間のシュ-ルリアリズム的な奇妙な作品であり、刺激的な出合だった。

 

 ・2005年7月:『 I was Here 』は、マレーシア アストロ衛星放送で

『Audience Choice award』(視聴者が選んだ最優秀作品賞)を受賞。 

 

 ・2006年~2010年:私立高校の芸術コースの授業に、マイケル・チェーホフメソッドを取り入れるなど【芸術家・人間のプロ】育成の基盤創りに励む。

 

また、小学校ダンスクラブ指導にも当たるなど〈表現する喜び〉の体験の輪を広げている。 

 

・2011年~:大阪に移住、スタニスラフスキーシステム、マイケルチェーホフメソッド、リーストラスバーグメソッド、サンフォードマイズナーのレペテイションなどの訓練法を軸に、演技クラスを受け持つ(Office トップクラス)。

 

気功法やフエルデンクライスの身体育成法なども取り入れ、俳優訓練の方法を日々研究し発展させている。

 

・2015年9月:独立。

【idea actors school】を設立。

 

訓練の場の提供は勿論の事、舞台プロデュース、メデイア出演の場を提供する事も積極的に始める。

 

 

*演劇、歌、ダンス、映画等の出演及び、演出・指導・プロデュース。

  声優、司会、ナレーターなど、声の表現者としても活動。

 

  • メンタル心理カウンセラー資格(内閣府認定)

  • エネルギーマスターセラピスト認定取得(望月俊孝氏提唱、感情開放セッション)   

 

 

 

演技教師 :皆川 眞澄 

 

出身地  : 静岡県 

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・幼い頃より人前で演ずる事が何より好きであった。12歳の時、そのタレント性に目をつけたペプシコーラのカメラマンにより日本代表ポスターモデルとして起用される。

 

・その後、学研教育映画、TVリポーター等の地元タレントとして活躍中にスカウトされ、東芝EMIよりシングルレコードリリース。 

 

・1983年:幼い頃からの夢であったミュージカル俳優への衝動を押さえ切れずに

東京キッドブラザーズに入団。卒業公演でマドンナ役を射止める。 

 

・2年後フリーとなり、コマ劇場、青山円形劇場、パルコ劇場等、メジャーミュージカル等の舞台に出演。また、TVドラマの出演やモデル業を掛け持ち。

 

その間も「演技とは?人間とは?」と自己に問い続ける。 

 

・1988年:パルコ劇場オーディションにより、奈良橋陽子脚本・演出のミュージカルに出演(別所哲也/故今井雅之/故塩屋俊など)【メソッド・アクティング】と出会う。

 

サンフォード・マイズナーの方法論を軸に、〈俳優の感情の動きを大切にした〉奈良橋陽子氏の指導法に感銘を受ける。 

 

・1989年:師ゼン・ヒラノと直感的に出会う。

 

アルパチーノやデニーロ等、ハリウッドスター達の全身全霊の演技力は何処から来るのだろう?『ニューヨーク・ザ・アクターズ スタジオ』はスタ二スラフスキーシステムをさらに発展させ、メソッドを確立した。

 

そこで創始者のリーストラスバーグにピタリと添い、演技指導の真髄を直伝された師ゼン・ ヒラノは、スタジオ始まって以来教師になりたくて入門したという人物だった。東京で開校していた『ゼン・ ヒラノアクティングゼミナール』に衝動的に飛び込む。そのプロデュース公演では「蜜の味(シーラ・デイレーニ著)」「コーラスガール」等メインキャストとして活躍。8年間に渉り、メソッド演技の習得に没頭した。 

 

・1991年:2枚目のシングルCDをリリース。 

歌手業の傍ら日本の伝統芸能に興味を抱く。何百年も前から変わらず演じ続けられている能。一挙手一踏足、面の角度まで決められている。 

制約があればある程、演者のリアリティーは強くなければ観客には伝わらない。

 

舞台俳優としても活動していた能楽師・故観世秀夫の門をたたくと共に、

それとは対極にある舞踏家・大野一雄のクラスにも足しげく通う。 

「心の動きに体をゆだねる」能が〈外から内へ〉ならば舞踏は〈内から外へ〉である。 

 

・1992年:「演技とは?演劇とは?自分は何のために演じているのか?

観客に喜びや感動を与え、共に分かち合うためだけなのか?」 

内在する疑問へのアプローチ。 

 

・1993年:歌手業に専念。全国各地を飛び回る。師ゼン・ヒラノから学んだ事をベースに、能と舞踏の現場から与えられた止揚(アウフへーベン)。 

ソロで舞台に立つことのプレゼンテーション。自分の立ち位置を体感する。 

出会いの中、それぞれの人生に感動しつつ、自分の人生を一本のまっすぐな道と見立てて唯歩く。 

 

・1996年:コンテンポラリーダンスアート『DANK』参加 

ニューヨーク在住のダンサー/フォリオグラファー(振付家)の工藤聡のダンスビデオに参加。ルイジアナの精神病棟の様に衝撃を受けた工藤の体験をベースにした作品で、『人と人とのコミュニケーションにおけるエネルギーの変遷』がテーマであった。この時の経験は、ダンスの枠を越えて、今も表現活動への礎となっている。

 

・古典芸能への興味は尽きず、尺八の森淳との出会いから、デュオで福祉施設やイベント等の演奏活動に取り組む。 

 

・1997年:海外ジャズミュージシャン(P:ロン・ハドリー/AS:ジム・キャメロン)

と北海道ツアー、東京公演。

 

・中国電力キャラクター〈のん太くん〉の声やカネボウCD-ROMのナレーション等の幅広い活動に伴い、声の表現者としても活躍の場を広げている。

 

1998年~:結婚。マレーシアに移住。 

子育てのかたわらピアノ教師、ボイストレーナーとして活動しながら、表現者としての新しい可能性を模索し続ける。

 

2004年:短編映画 『I was Here』主演女優 

オーディションにより、マレーシアの監督Kit Ong氏に抜擢される。 

氏の初監督作品『 I was Here 』に当時4歳の娘と共に出演。

 

自分自身の人生の過程で、〈絶対的孤独感から開放された〉

衝撃的至高体験の直後のオフアーであった。

 

〈極度の孤独感から自ら聴覚と視覚を奪い最後には絶命する〉という内容を演じ切った。夢と現実の狭間のシュ-ルリアリズム的な奇妙な作品であり、刺激的な出合だった。

 

 ・2005年7月:『 I was Here 』は、マレーシア アストロ衛星放送で

『Audience Choice award』(視聴者が選んだ最優秀作品賞)を受賞。 

 

 ・2006年~2010年:私立高校の芸術コースの授業に、マイケル・チェーホフメソッドを取り入れるなど【芸術家・人間のプロ】育成の基盤創りに励む。

 

また、小学校ダンスクラブ指導にも当たるなど〈表現する喜び〉の体験の輪を広げている。 

 

・2011年~:大阪に移住、スタニスラフスキーシステム、マイケルチェーホフメソッド、リーストラスバーグメソッド、サンフォードマイズナーのレペテイションなどの訓練法を軸に、演技クラスを受け持つ(Office トップクラス)。

 

気功法やフエルデンクライスの身体育成法なども取り入れ、俳優訓練の方法を日々研究し発展させている。

 

・2015年9月:独立。

【idea actors school】を設立。

 

訓練の場の提供は勿論の事、舞台プロデュース、メデイア出演の場を提供する事も積極的に始める。

 

 

*演劇、歌、ダンス、映画等の出演及び、演出・指導・プロデュース。

  声優、司会、ナレーターなど、声の表現者としても活動。

 

  • メンタル心理カウンセラー資格(内閣府認定)

  • エネルギーマスターセラピスト認定取得(望月俊孝氏提唱、感情開放セッション)